第3回「B管クラリネット統一への願望が生んだフルベームクラリネット」

 この連載の第2回では、クラリネットがB管とA管の2種類の楽器を持ち替えるようになった経緯についてお話しました。現在でも管弦楽や室内楽、ソロ作品を演奏する際には両方必要になりますよね。ところが、吹奏楽やジャズでは基本的にB管しか使いません。これはいったいどうしてなのでしょうか?今回は、このようになった経緯を探りながら、その過程で生まれたフルベームクラリネットについてお話ししましょう。

 前回お話したように、古典派時代のクラリネットはキーの数が少ないので、スロート音域からクラリオン音域の間の音を滑らかに半音階で演奏するのが苦手でした。そこで、フラット系の曲はB管、シャープ系の曲はA管という風に持ち替えることで対応していたのです。ちなみに、稀な例ですが、C管に対するH管もあって、モーツァルトの歌劇《コジ・ファン・トゥッテ》に指定されています。
 19世紀に入ると、フランス革命を契機にハルモニームジークから発展した軍楽隊が各国で結成されますが、そこではクラリネットがオーケストラのヴァイオリンの役割を担うようになりました。軍楽隊ですから、当然、野外で行進しながら演奏しなければいけないので、楽器を2種類持ち替えることは容易ではありません。ハルモニームジークのときもそうでしたが、使用する楽器をB管1本に限定して、原曲がシャープ系の曲を演奏するときはフラット系に移調して対応するようにしていたのです。
 この時代にはクラリネットのヴィルトゥオーゾも現れ、この楽器ならではの広い音域を駆け回る曲芸的な曲がたくさん書かれるようになりますが、その大半はやはりB管が指定されています。ベルンハルト・クルーセル(1775-1838)やカール・マリア・フォン・ウェーバー(1786-1826)らの協奏曲も同様で、B管で書かれていることはご存知のとおり。
 クルーセルやウェーバーの協奏曲を吹きこなすのは、クロスフィンガリングが頻出する古典派時代の楽器では困難です。クルーセル自身はキーを11個にしたグレンザー製の楽器を使用していたようですし、ウェーバーの協奏曲を初演したハインリヒ・ヨーゼフ・ベールマン(1784-1847)は、グリースリング&シュロット製の10キーの楽器を使用していました。キーを多く備えることでクロスフィンガリングを排除し、各音のトリルを容易におこなうことができるようになったのです。
 1812年になると、パリでイワン・ミュラー(1786-1854)が発表したキーを13個持つミューラーシステムの楽器が登場したことによって、より自由な半音階を演奏することが可能になりました。さらに、この楽器をベースにして、フルートの改革をおこなったテオバルド・ベームのリングキーのアイデアを採用したビュッフェ&クローゼシステム(ベームシステム)の楽器が開発され、通常の指遣いからもクロスフィンガリングが排除されます。ちなみに、この楽器が発表された1839年には、まだ現在のようなベームシステムのフルート(1847年システム)は存在していませんでした。ビュッフェとクローゼが参考にしたのは、直接指で塞ぐ指孔とリングキーを持つ1832年システムのベームフルートだったのです。
 ちなみに、ベールマンの息子カール(1810-1885)も、ミューラーシステムの楽器にリングキーを取り入れてベールマンシステムの楽器を開発しました。ベールマン親子が所属していたミュンヘン宮廷管弦楽団にはテオバルド・ベームが在籍していたので、もしかしたらベーム本人にアドバイスを受けたのかもしれません。このベールマンシステムが現在のエーラーシステムやウィーンアカデミーシステムの楽器へと発展します。

 このように楽器のシステムが発展して半音階が自由に吹けるようになると、技術的にはB管とA管を持ち替える必然性が薄れてきます。使っていない方の楽器が冷えてしまうことも含めて、他の木管楽器のように1本で済ませたいと思うのは当然のことでしょう。その考えで生まれたのが、ビュッフェ&クローゼシステムの楽器にキーを追加したフルベームシステムのクラリネットです。この楽器は、3つのキーと1つのリングキーが追加されており、よりフィンガリングが楽になっている他、最低音を半音延長するEsキーが付いたことで、B管でA管の最低音を出すことが可能になりました。
 フルベームシステムの楽器は、イギリスの軍楽隊で採用されました。イギリス軍に倣った明治時代の日本の海軍軍楽隊でもフルベームシステムの楽器が採用され、隊員たちが演奏している写真も残されています(ちなみにオーボエもベームシステムです!)。以前、ニュースで戦艦大和に軍楽隊員として乗船していたという方の話が報道されましたが、この方が手にしているのもフルベームシステムの楽器でした。
 フルベームシステムのクラリネットを採用したのは軍楽隊だけではありません。主に歌劇をレパートリーにしていたイタリアのオーケストラ奏者たちも、歌劇の中の頻繁な持ち替えを嫌ってこの楽器に乗り換えました。調性に一貫性のある交響曲に比べると、歌劇は長丁場でさまざまな調が要求されるので、持ち替えを面倒くさく感じるのも当然でしょう(イタリア人の気質の問題もあるのかもしれませんが)。現在ではもう使われなくなってしまいましたけど、イタリアのレパートリーの楽譜に最低音のEsの音が出てくるのはこのためです。歌劇だけでなく、レスピーギの交響詩《ローマの松》やベリオの《セクエンツァIX》にもこのキーを必要とする音が出てくるので困った経験を持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 結局、フルベームシステムの楽器は、いくつかの例外を除いて現在は使われなくなってしまいましたが(現在でもチェコのアマティ社が製作しています)、意外なところにこのシステムは生き残っています。おわかりになりますか? 実はバスクラリネットがそう。マーラーやワーグナーの作品の楽譜を見ると、通常のクラリネットだけでなくバスクラリネットにもB管とA管の持ち替えの指示があることがわかります。しかし、バスクラリネットを持ち替えるのは容易ではなく、やがてB管1本だけが使われるようになりました(A管バスクラリネットはセルマー社が最近まで製造していました)。そこで、A管の最低音を出すためにEsキーが追加されたのです。現在のバスクラリネットの最低音がEsになっているのはこれが理由に他なりません。ちなみに、バスクラリネットにはさらに低いCまで出る楽器もありますが、この楽器が登場するようになった経緯についてはまた次回お話しましょう。