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第2回「どうしてクラリネットはA管やB管などの移調楽器になった?」

 クラリネットには、吹奏楽やジャズなどで使われるB管の他に半音低いA管があり、オーケストラで演奏するときは2種類用意しなければいけません。フルートやオーボエは1本持ち歩くだけでいいのに、どうしてクラリネットだけ持ち替えなければいけないのか疑問(不満?)に思った人も少なくないのではないでしょうか。そもそも、クラリネットが、フルートやオーボエのような実音楽器ではなく、B管やA管という移調楽器なのかという点も気になるところです。そこで今回はクラリネットが移調楽器になって持ち替えをするようになった原因を探ってみることにしましょう。

 前回この連載でお話したように、クラリネットが誕生したのは、後期バロック期の始めにあたる18世紀初頭だったと言われています。このころにつくられたクラリネットは、現在のようなB管やA管ではなく、少し短いD管やC管でした。
 バロック時代の他の木管楽器には「移調楽器」という概念はまだなく、どの楽器も実音で表記していました。みなさんも、学生時代、F管のアルトリコーダーの楽譜が実音で書いてあるから苦労したという経験をお持ちなのではないでしょうか? コールアングレの前身と言えるF管のオーボエ・ダ・カッチャの楽譜も実音で書いてあるし、指遣いの上ではF管のはずのファゴットも実音で表記しています。
 そういった中で、いち早く移調表記をしたのがクラリネットだったのです。しかし、C管はともかく、なぜD管なのか不思議に思っている方も多いかもしれません。これはあくまでも1つの説ですが、クラリネットは、トランペットの代用楽器として、いろいろな木管楽器のパーツを組み合わせることで生み出されたと言われています。当時、ナチュラルトランペットの高音域を担当するパートは「クラリーノ」と呼ばれていましたが、「小さいクラリーノ」という意味の「クラリネット」という名称はそれで付けられた可能性があります。ここで大事なことは、18世紀のトランペットの9割近くがD管かC管であったこと(モーツァルトの交響曲の大半でニ長調とハ長調の曲だけでトランペットが登場するのはそのため)。クラリネットがトランペットのパートを吹くためにつくられたのだとすれば、同じようにD管とC管としてつくられたのは当然のことでしょう。
 実は、移調表記を最初におこなっていたのはトランペットとホルンでした。この時代のトランペットやホルンにはまだヴァルヴ装置が付いていなかったので、曲の調性に応じて違う長さの楽器に持ち替えなければいけなかったのです(あるいは「クルーク」と呼ばれる替え管を継ぎ足すか)。そのため、実音表記より移調表記の方が読みやすいというのがあったのでしょう。トランペットと同じパートを吹いたり、同じ楽譜を使うことがあったクラリネットが移調表記になったのは自然なことだったのかもしれません(ニ長調で書かれたモルターの協奏曲も、トランペットとクラリネット両方で演奏されることがあります)。
 
 クラリネットが移調楽器になったのにはもう1つ理由が考えられます。それは、クラリネットが閉管構造の倍音列を持っており、基音(第1倍音)の上が、オクターヴ上の第2倍音ではなく12度上の音が出てしまうということ。フルートやオーボエのように強く吹くとオクターヴ上の音が出る楽器ならば、第2倍音の音域になってもオクターヴ下と同じフィンガリングで出すことができるので、キーは右手小指のEsの音ぐらいしか必要ありませんが(バロックオーボエは右手小指のCのキーも備えている)、強く吹くと12度高い音が出てしまうクラリネットは、基音とその上の倍音の間を指孔の開閉だけで音を埋めることは不可能でした。そのため、バロック時代初期のクラリネットは、人差し指で操作するキーと親指で操作するレジスターキーの2つのキーを備えていましたが、左手小指で操作するキーをまだ備えていなかったので、シの音はドの指遣いのまま唇を緩めて出さなければいけなかったのです(上管のキーを両方押せば一応シの音を出すことはできますが)。キーが追加されたあとでも、スロート音域からクラリオン音域の間を半音階で滑らかに演奏することは難しかったので、曲の調性によって楽器を持ち替える必要があったのかもしれません。

 バロック時代にクラリネットがあまり活躍できなかったのは、前回この連載でお話した理由以外にこうした事情もあったのかもしれませんね。しかし、古典派時代に入ると、クラリネットは、キーの数を増やすことで速いパッセージにも対応できるようになり、ソロやオーケストラで活躍するようになったのはご存知のとおりです。 
 ここで重要なのは、D管かC管だったクラリネットがそれよりも低いB管やA管になったこと。B管やA管といえば、オーボエ・ダモーレやフルート・ダモーレなど、他の楽器の「ダモーレ」と同じ位置づけになり、トランペットの華やかな明るい高音域を模したD管やC管よりも甘く深みのある音が出せたことが成功の一因だったに違いありません。ただし、D管やC管が廃れてしまったわけではなく、C管はより短いF管と共に軍楽隊で活躍しました。オーケストラの中でも、オスマントルコのズルナと音色が似ていたことから、オスマントルコや軍楽隊の描写で使われています(ベートーヴェンは、D管もオスマントルコの場面に向いていると記していますが使用例はありません)。
 「B管はフラット系の曲」「A管はシャープ系の曲」という使い分けはみなさんご存知のとおりですが、優れた作曲家は、それだけではなく微妙な音色の違いや調が持つ性格の違いを考慮して両者を書き分けました。モーツァルトはオペラの中の愛の場面でA管を多く指定しています。しかし、19世紀に入り、クラリネットが軍楽隊の核として使用されるようになると、行進の際に楽器を2本持ち歩くのが困難になり、楽器を1種類に統一しようという運動が起こりました。これに関してはまた次の機会にお話しましょう。